震災から・・・

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震災から6年が過ぎたが、テレビで特集をやってたりする。

偶々チャンネルを替えた時に津波の映像が映ってたりすると、未だに涙が出る。

ほんのちょっとの偶然が明暗を分けた日でもあった。

テレビである記者が、被災地や避難場所を取材している時にお年寄りから「あんたたちも食べてないんでしょ、食べなさいって菓子パンを貰って、泣きながら食べた」という話をしてた。

熊本地震の時は、被災地で弁当を買ったレポーターが非難されていたが、そう云えばこっちではそんな話は全然聞かなかった。

多分、この田舎の素朴でお人好しの住民は、記者やレポーターなどのマスコミも、食べて無い人は皆一緒と思っていたのでしょう。

自分ならどうしたか??

「取材してて食ってねえんじゃねぇの?ほれ食っていがいん。」って言うと思う。

震災の翌日は朝から海側に住む親せきの安否確認してた。

親父の実家、六郷の親せきは全員小学校に避難して無事。

閖上の親せきは・・・家はこの通り。。。でも数日後無事が確認できた。。うれし泣きしたなぁ。

b3f2ef3e9bf1afd6cb6205a664787069819e9a12.jpg東部道路の海側は悲惨だった。

001.jpg

その後会社に出て、バイクからガソリン抜いてフィットに入れて、会社に出て来れた二人と共に客先の装置の状態を確認に行く事にした。

その時に、もう一人近所なので出社してた社員が「昼飯が出ないなら行きません、帰りますよ俺。」という発言。

しかし昼飯抜き覚悟で行った我々が焼き肉にありつき、おまけに食料の買い出しも出来たと云う結果に。。。

理由は簡単。電気が来ないので冷蔵庫や冷凍庫がストップ。

私は昔のことを思い出す時に、震災前と震災後どっちかな?って先ずは考える。

もうこの習性は治らないと思う。

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このページは、シャケオが2017年3月12日 23:46に書いた記事です。

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